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東京高等裁判所 昭和60年(オ)1134号 判決

控訴人 宮嵜繁美

〈ほか三名〉

控訴人ら訴訟代理人弁護士 矢島邦茂

同 宮崎梧一

被控訴人 中谷大平

右訴訟代理人弁護士 糸永豊

主文

本件各控訴をいずれも棄却する。

控訴費用は控訴人らの負担とする。

事実

一  控訴人らは「原判決を取消す。被控訴人は、控訴人繁美に対し金二八〇六万九〇〇〇円、同晋矢に対し金二九一四万円、同敏男、同松子に対し各金五五〇万円及び右各金員のうち控訴人繁美につき金二六〇六万九〇〇〇円、同晋矢につき金二七一四万円、同敏男、同松子につき各金五〇〇万円に対する昭和五四年一二月一日から支払いずみまで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。」との判決及び仮執行の宣言(訴訟費用の負担部分を除く。)を求め、被控訴人は控訴棄却の判決を求めた。

二  当事者双方の主張及び証拠関係は、次のとおり付加するほかは原判決事実摘示のとおりであるから、これを引用する(但し、原判決五枚目裏一一行目の「適格」を「的確」と、一四枚目表一二行目及び裏四行目の各「羊水栓塞」をいずれも「羊水塞栓症」と各改め、一五枚目裏八行目の次に「3 検証」を加え、九行目冒頭の番号を「4」と改める。)。

(控訴人らの当審における主張)

控訴人らが医療上の過誤として主張する事項は、次のとおりである。

1  胎児の死亡について

(一) 原判決四枚目裏から五枚目裏にかけての(イ)、(ロ)の過失。なお、被控訴人は、和子の入院前日である昭和五四年一一月二七日に胎盤機能検査を施行した旨、その結果尿中エストロゲン値が正常値の半分以下に減少し胎盤機能の低下が認められた旨、和子は分娩予定日のころから塩酸キニーネを服用していた旨、被控訴人は前記二七日にはその事実を知った旨各主張するのであるが、仮にそうだとすると、胎盤機能低下及び塩酸キニーネの服用はいずれも胎児の突然死をきたす危険性の極めて大きい事由であるから、一層監視を怠らず、いつでも帝王切開術が行なえるよう準備しておくべきであった。ところが、被控訴人は、右手術の準備をせず、そのため胎児心音が変化した時点においても帝王切開術を行えなかったのであるから、(ロ)の過誤があることは一層明らかである。なお、右時点で和子の高熱のため被控訴人の医院では帝王切開術施行が困難であったとしても、その場合でも施設の調った医療機関であればこれが可能であったから、被控訴人としてはこのような医療機関への搬送を考え手配すべきなのであって、これをしなかった点において過誤がある。

(二) のみならず、右のように、胎盤機能低下と塩酸キニーネ服用を前提とするのであれば、胎児の突然死を防止するため、これらの事由が判明していたとされる入院直後に帝王切開術を施行すべきであった。ところが、被控訴人は、右手術適応の判断を誤り禁忌事由がないのに入院直後の帝王切開術を施行せず、そのため胎児を死亡させたのであるから、この点に過誤がある。

(三) 被控訴人は、入院一日目と二日目にアトニンOを点滴しているが、その場合一般的に子宮収縮状態、胎児心音の観察など分娩監視を十分に行わなければならないし、胎盤機能の低下が顕著であり、かつ点滴速度を速くする場合には、胎児ジストレスの疑いのある患者として、特に慎重に行なう必要がある。ところが、被控訴人は観察を十分に行わず、胎児心音に至っては連続的な心音聴取さえ怠った。右観察不十分は、これによって帝王切開術を行う時期を正確に把握することを不可能にしたばかりか、入院二日目の点滴速度が速く過強陣痛を惹起して胎児の突然死を招来した可能性すら存するもので、この点で過誤がある。

2  和子の死亡について

(一) 原判決五枚目裏から六枚目表にかけての(イ)ないし(ハ)の過失。なお、仮に被控訴人としては救命処置としてできるだけのことをしたとしても、他の医師や看護婦の応援を求め、あるいは大施設の医療機関に転送して治療を受けさせれば救命しえたと考えられるので、このような処置を講じなかった点で、(ハ)の救命処置義務違背がある。

(二) 胎児について述べた入院直後に帝王切開術を施行しなかった過誤は、和子の死亡についても過誤といえる。すなわち、和子の死因は、控訴人らの主張するエンドトキシンショックか被控訴人の主張する羊水塞栓症のいずれかであると推定されるが、エンドトキシンショックについては、入院直後に帝王切開が行われたとすれば、和子の破水は早くても一一月二八日午後四時一〇分、遅くとも翌二九日午後三時ころであったのであるから、羊水感染を考慮する余地はなく、また、細菌感染の機会を与えるとされるブジーやメトロイリーゼの挿入もする必要がなくなったのであるから、エンドトキシンショックはほとんど起りえなかったものと考えられる。羊水塞栓症については、大部分が経膣分娩の産婦にみられる症状であるから、帝王切開の場合にはほとんど発症のおそれはないと考えられる。のみならず、子宮収縮剤ないし陣痛促進剤の乱用は本症の誘因となる場合があるといわれているが、帝王切開が速やかに行われていれば、前記アトニンOの点滴はありえなかったこととなるので、本症の発症はなおさら考えにくいというべきである。したがって、入院直後の速やかな帝王切開の不施行と和子の死亡との間の因果関係には、頗る高い蓋然性があるといわざるをえない。

(控訴人らの主張に対する被控訴人の答弁)

1(一)  (イ)(ロ)については、被控訴人のした処置は原審で主張したとおりであり、これに過誤はない。なお、帝王切開はいつでも施行できる状態にしてあったが、胎児心音が変化した時点では和子に突然の発熱があり、手術適応になかったものである。また、控訴人らは、右時点で他の医療機関への搬送をすべきであったと主張するが、当時、大施設の医療機関といわれるものは、国保旭中央病院(旭市所在)と千葉大学附属病院(亥鼻町所在)しかなく、前者は救急車で四〇分ないし五〇分を要し、後者は一時間ないし一時間四〇分を要した(交通事情によればそれ以上になる。)。ところが、胎児心音は急激に悪化し、一一月二九日午後二時ころには胎児の救命は不可能な状態となったのであり、このことと和子の高熱の持続状態からして、右各病院への搬送は不可能であった。

(二)  和子は、入院時、胎盤機能が要警戒値を示しており、入院までに塩酸キニーネを服用していたが、和子は経産婦であり、胎児に異常徴候は認められず、内診所見では子宮頸部は軟らかく、外子宮口二指開大していたので、このような状態では、帝王切開術が和子や新生児に与える悪い影響をも考えると、入院直後には帝王切開術の適応になく分娩誘発法を施行すべきものとした被控訴人の判断に誤りはない。

(三)  アトニンOの点滴とその方法及び経過観察には控訴人ら主張のような誤りはない。なお、和子には過強陣痛は生じていない。

2(一)  被控訴人のした処置は原審で主張したとおりであり、和子の死亡について控訴人ら主張(イ)ないし(ハ)の過失はない。控訴人らは、和子を他医に転送しなかったことを問題とするが、ショック状態にあった和子を前記のような遠い病院に搬送することはかえって危険であったし、羊水塞栓症の専門医がいるとは限らない右各病院への搬送は不可能であったといえる。外科専門医である片岡医師の応援を得てした被控訴人の救命処置に誤りはなかったのであるから、被控訴人には救命処置義務違反はない。

(二)  (二)の点については、入院直後には帝王切開術の適応でなかったのであるから、これを施行しなかったことは、和子に対する関係でも過誤とはいえない。

(当審における新たな証拠関係)《省略》

理由

一  当事者

請求原因(一)の事実は当事者間に争いがなく、《証拠省略》によれば、被控訴人医院は、医師が被控訴人一名、看護婦数名、夜間当直看護婦一名の一般開業産婦人科医院であることを認めることができる。

二  本件医療事故の発生及びその経過

1  和子が出産のため被控訴人医院に通院したこと、出産予定日が昭和五四年一一月一八日であったこと、和子は、右予定日後の同月二七日被控訴人医院を訪れて診断を受けたのち、人工的陣痛により出産をするため、翌二八日被控訴人医院に入院したこと、入院当日陣痛促進のため点滴、ブジー挿入等の処置がなされたこと、翌二九日にも点滴、メトロイリーゼ使用等の陣痛促進処置がなされたが、同日午前一一時ころ胎児心音に変化が認められたこと、同日午後〇時ころ和子が発熱し三九・五度の高熱となったこと、被控訴人が点滴、注射の処置をとったこと、翌三〇日午前三時すぎ和子の陣痛が強くなり、午前四時四〇分ころ女児を娩出したが、死産であったこと、和子は分娩後ショック状態となり、同日午前六時四〇分死亡したこと、右死亡前酸素吸入、点滴、注射の処置がとられたことは、当事者間に争いがない。

2  右争いのない事実と、《証拠省略》によれば、次の事実を認定することができる。

(一)  和子は昭和四九年六月二七日被控訴人医院で長男である控訴人晋矢を出産した経産婦であった。このときの出産は、はじめ溝口助産院こと溝口しげ助産婦方で同助産婦の介助で行なわれたが、途中で胎児の救命困難な状態となり急遽被控訴人医院に運ばれ、鉗子分娩により出産することができた難産であった。そこで、被控訴人は、今回の妊娠については、昭和五四年五月八日の初診時に和子に対し、被控訴人の指導に従って通院するよう指示し、和子はこれを承諾して、被控訴人医院において出産することを前提に、その後同年六月一一日、八月二二日、九月一四日、一〇月三日と通院し、その都度診察及び妊婦に対して行われる通常の諸検査を受けた。この通院回数は少なく、時期も遅れがちではあったが、この間格別の異常は見られなかった。

(二)  ところが、和子は、その後被控訴人医院に通院しなくなり、一一月二七日午前、突然被控訴人医院を訪れ、出産予定日を過ぎても生れないから被控訴人医院に入院して出産したい旨申出た。被控訴人は、和子が被控訴人の指導に従った通院をせず、かつ、和子から、今回も溝口助産婦方に通い種々処置を受けていたと聞いたので、語気を強くして一旦は入院を断ったが、和子が、控訴人松子とともに同日午後再度来院して懇願したため、これを承諾した。

(三)  一一月二七日午後の診察の結果は、外子宮口は二指開大でやや柔軟、胎児先進部は非常に高い位置にあり、尿蛋白検査はマイナスで正常であった。

被控訴人は、同日、分娩予定日超過の妊婦等の胎盤機能検査のひとつである母体尿によるエストロテック・スライドテストを行なおうとしたが、保存試薬が使用期限切れであったため、同日夕刻、自ら和子の尿を協和医院(産婦人科)の小島光医師方に持参し、該テストを実施してもらったところ、その結果は尿中エストロゲン濃度五mg/l以上一〇mg/l未満であった。この値は、要警戒値に属し、胎盤機能の低下を示すものである。しかし、被控訴人は、小島医師とも相談した結果、和子が経産婦であること及び前記のような予定日超過の程度、外子宮口の状態からして、帝王切開術の適応状態にはなく、分娩誘発法をとることが相当であると判断した。

なお、被控訴人は、同日、和子に対し、卵胞ホルモン剤の筋注をした。

(三)  一一月二八日午前九時ころ和子は入院したが、入院時の外子宮口は前日と同じ状態であった。すぐに、分娩誘発法として、五%ブドウ糖液五〇〇ccとアトニンO(子宮収縮誘発剤)五単位の点滴(午後三時ころまで)及びブジー三本の挿入(午後五時ころ抜去)がなされたが、同日夜も陣痛は弱く、終日変化はなかった。感染予防措置として、ブジー挿入時にコリスチン二〇〇万単位、抜去時にビスタマイシン一g(いずれも抗生剤)が筋注された。

(四)  一一月二九日午前九時の内診では、外子宮口の状態に変化なく、分娩誘発のため、前日と同じ点滴をし、メトロイリーゼを挿入した。当時の児心音は五秒間に一二、一二、一二で正常であったが、午前一一時ころ時に一一が混るようになった。但し、この程度の変化は陣痛の状態によっても生じうるもので、異常値とはいえない。ところが、和子は、同日午後〇時過ぎころ突然三九・五度に発熱し、悪感を訴え、戦慄を示すようになったので、直ちに、ビスタマイシン一g及びコリスチン二〇〇万単位を筋注した。和子の熱は、午後三時ころまで三九度くらいが続いたが、午後五時ころには三八度くらいになり、その後次第に改善され、午後一〇時から一一時のころには三七度くらいになった。和子は午後三時に破水したが、量は脱脂綿につく程度の少量であった。この間、児心音は急速に悪化し、午後二時半ころまでに毎分八〇程度になり、午後四時ころまでには児心音は消失した。午後四時に前記点滴を終了し、そのときと午後一〇時ころないし一一時ころに、前記同様のビスタマイシン及びコリスチンを筋注した。午後一一時すぎの診察では、外子宮口は四指半開大であったが、胎児の位置は高く、陣痛はほとんど消失し、熱は三七度以下になり、悪感、戦慄の訴えもなかった。

(五)  一一月三〇日午前三時ころ、和子に強い陣痛が現われ、午前四時ころ、当直の宮内睦子看護婦が和子を分娩室に入れた。前日午後七時半ころから控訴人繁美が付添っていたが、陣痛出現後控訴人松子も呼ばれて被控訴人医院に来ていたので、分娩室に行く途中まで右控訴人両名が、そこから分娩室まで控訴人繁美が和子に付添い、それぞれ病室に引返した。和子は、分娩室に入ってから強度の痛みと不安を訴え、分娩台に乗ろうとしなかったので、右控訴人らが呼ぼれ、そのころまでに分娩室に来ていた被控訴人及び前記看護婦とともに和子を分娩台に乗せた。分娩台に乗ってからは、和子は落着き、前記控訴人らはすぐに分娩室から出た。午前四時四〇分鉗子分娩により女児(三九〇〇グラム)を死産し、一五分くらいのちに、胎盤が娩出された。胎児には、鉗子による損傷はなかったが、左頬に一〇平方センチメートルくらい、側腹部に二〇平方センチメートルくらいの表皮剥脱があり、胎盤には黄変部分があり、石灰沈着が著明であった(これは、胎盤の老化を示すものである。)。胎盤娩出時二〇〇ないし三〇〇ccの普通量の出血があった。

胎盤娩出後の午前五時一〇分ころ、分娩台の上で、和子は突然呼吸困難となり、顔面、四肢は蒼白、血圧低下し、最初の血圧測定で六〇―三〇くらいを示し、聴診器により肺にラッセル音が聴取された。被控訴人は、直ちに酸素を投与するとともに、ノルアドレナリン(昇圧剤)、テラプチク(呼吸促進剤)、ビタカンファー(強心剤)、デカドロン(副腎ホルモン剤)、ビスタマイシン、ロジノン等を筋注又は点滴により投与したが、効果はなく、午前六時四〇分、和子は死亡した。和子は、死亡の数分前まで意識があり、「苦しい」「目がまわる」と言ったり、呼びかけると「はい」と返事をしたこともあった。なお、被控訴人は、午前六時一五分ころ片海宣光医師に電話して援助を求め、同医師は同六時三〇分ころ到着したが、既に和子の血圧は測定不能で顔面、四肢にチアノーゼが現われ、被控訴人から抗生剤、強心剤、血圧上昇剤、副腎ホルモン剤、輸液等の応急措置が施行されていることを聞き、更にとるべき手段はないと考え、経過観察中、前記のように意識が失なわれ、死亡するに至ったものである。

以上のように認めることができる。被控訴人本人の供述のうちには、和子が一一月三〇日ショック状態となったのち用いた薬剤について右認定と異なることを述べる部分があるが、《証拠省略》によれば、《証拠省略》のうちこの点に関する部分は板倉看護婦が同日被控訴人に指示されて記入したものであることを認めることができるのに対して、被控訴人の供述のうち右記載にない部分については確たる裏付けがないので、被控訴人本人の前記供述部分はにわかに採用し難い。また、《証拠省略》には破水の時期を二八日午後四時一〇分とする記載と二九日午後三時とする記載がなされているが、前者の時に破水があったことをうかがわせる状況はなく、《証拠省略》によれば、破水を二八日とする記載は誤記と認めるのが相当である。《証拠判断省略》

三  胎児及び和子の死亡原因

1  胎児の死亡原因

(一)  《証拠省略》によれば、和子は、被控訴人医院に通院する一方で、自宅近くにある前記溝口助産院にも通院していたこと、和子は、入院前日の一一月二七日前記のように被控訴人医院で受診したとき及び翌日入院した際に、被控訴人及び被控訴人医院の看護婦に対し、分娩予定日よりのち溝口助産院で三日間くらい白い苦い薬を与えられ一日三回くらい飲んでいた旨述べたこと、溝口助産院では、予め医師から与えられていた処方箋を利用することにより、予定日超過の産婦に対し、陣痛促進の効果を有する塩酸キニーネを薬局から購入させてこれを服用させる場合があり、少なくとも昭和五五年六月ころまではそのようにしていたこと、被控訴人はこのことを知っており、和子から前記のように聞いたので、和子が服用した前記薬剤は塩酸キニーネであると考えたこと、被控訴人は、一一月二七日前記のように小島医師に胎盤機能検査を依頼した際には、和子が塩酸キニーネを服用していると考えられる旨述べていることを認めることができ、右認定を覆えすに足る証拠はない。そして、右事実によれば、和子は、分娩予定日を経過したのち、陣痛促進のため塩酸キニーネを服用していたものと認めるのが相当である。《証拠判断省略》

ところが、《証拠省略》によれば、塩酸キニーネは、古くから陣痛促進剤として用いられていたが、母体に種々の副作用を及ぼすうえ、胎児の心筋にも悪影響を及ぼし、特に予定日超過等で胎盤胎児機能が低下している場合には、キニーネ死亡といわれる胎児の突然死があることが知られており、既に昭和四〇年に発行された文献(「産科と婦人科」)において、この副作用があるため全く顧りみられない療法である旨指摘されていることを認めることができ、右認定を覆えすに足る証拠はない。そして、和子の一一月二七日における胎盤機能検査が要警戒値を示し、一一月二九日(胎児の死亡日)では分娩予定日超過一一日目であり、翌三〇日娩出した胎盤が機能低下の外観を呈していたことは前記のとおりである。

(二)  本件の証拠上、胎児の死亡原因について専門家の立場で述べるものとして、《証拠省略》があるが、これらは、いずれも、塩酸キニーネの副作用(胎児への慢性的中毒的影響)、過期妊娠に伴う胎盤機能不全を死亡原因とするものである。そして、これらの見解がその前提事実とするところは、いずれも前記のようにこれを認めることができるのであるから、当裁判所は、右各見解を採用すべきものと考える。

もっとも、和子及び胎児について解剖等の厳密な病理学的解明がなされているわけではないので、胎児の死亡についても他の可能性があることを全く否定することはできず、特に、《証拠省略》によれば、和子に生じた前記発熱との関係に問題があることが認められる。しかし、《証拠省略》とも結局発熱との関係を否定すべきものとしているのであって、そのほかにこの点を積極に認めるべき医学的な立証は全くなされていないのであるから、右の証拠関係は、前記認定を覆えすに足るものということはできない。そのほかには、前記認定に反する証拠はない。

2  和子の死亡原因

(一)  控訴人らは、和子は前記発熱を伴った細菌感染によるエンドトキシンショックにより死亡したものであると主張するのに対し、被控訴人は、羊水塞栓症に基づく急性心不全が死亡原因であると主張するのである。そして、本件証拠上、右各主張以外の死亡原因はほとんど考えられないものであることを認めることができる。

(二)  そこで、まず、羊水塞栓症について検討するに、《証拠省略》によれば、本症は、分娩中羊水成分が母体血中に流入し、母体に急性ショック、出血、乏尿などの劇症を起こすものをいうと定義されていること、その成因は明確ではないが、一般には、破膜あるいは羊膜の裂け目、陣痛促進剤の投与などに起因する強力な子宮収縮、児頭の産道進入、頸管や子宮下部の静脈圧低下が発症の条件と考えられていること、発症の頻度は比較的まれであるが、一般に三〇ないし三五歳以上の経産婦に多いといわれ、発症時期は破水後が過半数を占め、約七〇パーセントが分娩中に発症し、分娩直後、陣痛発来前の順でこれについでいるとされていること、その症状は、前駆症状として、悪心、嘔吐がほとんどにみられ、胎児死亡のあることがあり、劇烈な陣痛があったとの報告が多く、軽い頻脈やチアノーゼがあること、次いで、ショック症状が出現し、突然胸内苦悶を訴え、不穏状態を呈し、チアノーゼ、呼吸困難、咳、痙れん発作を起こし、肺では著明な水泡音が聴取され、血圧は低下し、脈搏は非常に速くなり、このような状態から突然急死することが多いとされていること、前記出血傾向、乏尿はショック死を免れた場合に生じうるものであること、その確診は、剖検によってはじめて可能であるとされていることを認めることができる。また、《証拠省略》によれば、本症の死亡率は、欧米では八六パーセント、我国では五〇パーセントと報告され、妊産婦死亡の五ないし一〇パーセントが本症によるものと考えられていること、本症による産婦の死亡の時期は、その三〇パーセントが発症後三〇分以内で、七〇パーセントは一二時間以内であるとされていることを認めることができる。

そして、《証拠省略》によれば、鑑定人鈴木秋悦医師は、「妊婦は一一月三〇日午前四時四〇分、出口鉗子で、三九〇〇グラムの女児を死産した。その後一五分以内で胎盤娩出し、後出血量も二〇〇ないし三〇〇ccと正常範囲であった。しかし、約三〇分後、突然、呼吸困難となり、血圧下降、顔面蒼白、急性心不全様症状を示したが、救急処置によって、一時的に回復した。しかし、六時三〇分、再び、顔面四肢のチアノーゼ、意識は残存していたが、心不全の症状で、呼吸は次第に浅表となり、突然、意識を失ない、六時四〇分に死亡した。」という経過から、妊産婦死亡例としても非常に特異的であり、合併症状もなく、死因の推定は難しいが、羊水塞栓症の急性ショック期の死亡と考えるのが最も可能性が強いものと判断していることを認めることができる。右の鑑定において前提とされた事実は、前記認定事実に照らすと正当なものであると認められ、更に、和子は子宮収縮を誘発する分娩誘発剤を投与されていたこと、ショック前、強度の陣痛があったこと、ショック時ラッセル音が聴取されたことなどの前記認定事実と《証拠省略》によって認定した事実を照らし合わせ、かつ、《証拠省略》によれば、小島医師及び被控訴人も羊水塞栓症を死亡原因であると推定していることが認められることからすれば、和子の死亡原因は、羊水塞栓症であったものと認めるのが相当である。

(三)  控訴人らの主張する細菌感染に伴うエンドトキシンショックについては、これを和子の死亡原因であると推定すべきものとする医学的見地からの証拠はない。もっとも、《証拠省略》のうちには、そのような推定が不可能ではないとする趣旨の部分もあるが、これらは、いずれも和子の死亡に至る具体的な経過との関連で、結論的には消極の見解を示すものであり、右(一)の認定に反するものとはいえず、そのほかに、右認定を覆えすに足る証拠はない。

四  被控訴人の責任について

1  不法行為責任について

(一)  胎児の死亡に対する責任について

(1) 控訴人らは、まず、胎盤機能低下及び塩酸キニーネ服用の事実があったとすれば、胎児の突然死を防止するため、入院直後に帝王切開をすべきであったと主張する。しかし、《証拠省略》によれば、胎盤機能検査の結果及び塩酸キニーネの影響を考慮しても、入院当時の分娩予定日超過の程度、前記内診所見からすれば、入院直後に帝王切開の適応にあったものとすることはできず、分娩誘発法をとった被控訴人の処置は適切であったものと認めることができ、右認定を覆えすに足る証拠はない。

(2) 次に、控訴人らは、被控訴人には和子の細菌感染を防止すべき義務を怠った過失があると主張し、具体的には、抗生剤を使用しなかったこと、長時間の局所操作(ブジー及びメトロイリーゼの使用)をし、これに慎重を欠いたことを問題とする。右主張は、胎児が、和子に生じた感染に伴う高熱を原因として死亡したものであることを前提とするものであることはその主張に照らして明らかであるが、胎児の死亡原因は前記のように認定されるのであるから、その限りでは適切な前提を欠くものである。しかし、後記のとおり、和子の高熱は胎児に異常が生じた時点で胎児に対する緊急救命処置を講ずる障害となったと考えられ、この関係で高熱発生の原因とこれに対する被控訴人の処置の適否が問題となるので、ここで、この点について検討する。《証拠省略》によれば、被控訴人が一一月二八日及び同月二九日に分娩誘発法として行った処置のうち、ブジー及びメトロイリーゼの各挿入は、これによって母体に細菌感染を生ぜしめることがあることを認めることができる。しかし、仮に前記発熱がそのような性質のものであったとしても、被控訴人は、前記のように、一一月二八日のブジーの挿入、抜去時にそれぞれ抗生剤を筋注し、メトロイリーゼを使用した同月二九日午後〇時過ぎにも抗生剤を筋注したものであるし、《証拠省略》によれば、右各器具は消毒したものを用いたことが認められるところ、本件の全証拠によっても、ブジー及びメトロイリーゼを使用する場合に、一般の産婦人科医師が行うべき感染予防処置として、これらが不適切であり、あるいは不十分なところがあったというのを相当とするような証拠は全く存在しない。かえって、《証拠省略》によれば、感染予防の点でも特に問題はなかったとされているところである。また、発熱後の処置に問題があったことを認めるに足る証拠はない。そのほかに、発熱について被控訴人の処置に不適切な点があったことを認めるに足る証拠はない。

(3) 次に、控訴人らは、一一月二九日に児心音に変化が生じた時点で、帝王切開術を施行し、あるいはそのほかの方法で胎児の救命方法を講ずるべきであったと主張するので、検討する。

前記のように、児心音は、一一月二九日午前一一時ころ若干の変化を示したものの、特に異常値とはいえないものであったが、その後急速に悪化し、午後二時半ころまでに毎分八〇程度になり、午後四時ころまでには消失したのであるところ、《証拠省略》によれば、児心音が急速に悪化した時点で胎児を救命する方法としては、帝王切開術の施行以外にはなかったことを認めることができ、右認定を覆えすに足る証拠はない(もっとも、仮に帝王切開した場合実際に救命できたことを認めるに足る的確な証拠はない。)。しかし、本件の場合、児心音が悪化したときには、前記のように和子に高熱の発熱があり、これが継続する間に児心音は消失したのであるところ、《証拠省略》によれば、このような高熱下では、母体に負担のかかる帝王切開術は、一般開業医である被控訴人医院においては、母体保護の観点から実施しえなかったものであることを認めることができ、右認定を覆えすに足る証拠はない。この点について、控訴人らは、施設の調った医療機関への搬送を手配すべきであったと主張する。たしかに、鑑定の結果のうちには、大施設の医療機関であって麻酔を含む全身管理に万全を期すことができる状況であれば、妊婦の高熱下でも帝王切開が可能であったことが考えられるとする部分がある。しかし、右鑑定部分は、被控訴人医院がそのような医療機関であれば帝王切開術の施行が可能であったかもしれないことを注意的に述べるものにすぎないのであって、本件の前記のような具体的な状況のもとで控訴人ら主張のような搬送が可能であり、また、緊急の受入先があり、緊急手術が可能であり、これによって胎児を救命することが可能であったかもしれないというようなところまで指摘するものではなく、本件の証拠上、これらの点を積極に認定すべきものは存在しない。したがって、控訴人らの前記主張は、採用することができない。

(4) 控訴人らは、アトニンOの点滴方法、子宮収縮状態及び児心音の観察方法等にも過誤があったと主張する。しかし、《証拠省略》だけではこれらの事実を認めるに足りず、そのほかには、控訴人ら指摘の点で被控訴人の処置に誤りがあったことを認めるに足る証拠はない。

(二)  和子の死亡に対する責任について

(1) 感染予防処置及び入院直後に帝王切開しなかったことを問題とする控訴人らの主張がいずれも採用できないことは、胎児の死亡の関係で説示したとおりである。

(2) また、控訴人らは、細菌性ショックの予防とこれに対する適切な処置を講じなかったと主張するが、前記のように、細菌性ショックは和子の死亡原因であるとは認め難いので、右主張は採用することができない。もっとも、和子に生じたショックは、羊水塞栓症に基づくものと認められるところ、《証拠省略》によれば、被控訴人は、羊水塞栓症の発生を予見し、あるいは羊水塞栓症を前提として治療を行ったものではないことを認めることができ、右認定を覆えすに足る証拠はない。しかし、前記のとおり、羊水塞栓症は解剖によってはじめて確診しうる稀な病気であり、《証拠省略》によれば、一般の開業医が臨床上これを予見、確診することは極めて困難であると認められるうえ、本件の場合には、前日来の突然の発熱があったことも加わって、一層診断が困難であったと考えられるから、被控訴人が羊水塞栓症を予見せずまたはそのように診断しなかったことは、やむをえなかったところというべきである。

(3) 次に、控訴人らは、和子がショック状態に陥ったのち、被控訴人は点滴及び酸素吸入、注射一本以外何らの処置を講ずることなく放置し、大施設の医療機関に転送し、あるいは他医や看護婦の応援を求めることもしなかったので、救命処置義務に反したものであり、また、輸血用血液の手配や準備をしなかった点でも過失があり、点滴を看護婦の資格を有しない被控訴人の妻が行ったことも違法行為であると主張する。しかし、ショック発生後に被控訴人がとった処置は前記のように認められるところであって、控訴人ら主張の処置をしたにとどまったのではなく、これらの処置が不適切、不十分であったことを認めるに足る証拠はない。かえって、《証拠省略》によれば、特に不適切とはなしえないものであったことを認めることができる。また、他の医療機関に転送すべきであったとの点については、前記認定のように急激に発生し短時間で最悪の結果となった和子のショック状態の経過及び胎児の死亡について判示したような転医の前提とすべき諸状況からすれば、被控訴人に他の医療機関への転院を図るべき義務があったものとは到底認め難いところであり、この点に関する反対の証拠はない。そして、被控訴人が片海医師の応援を求めたことは前記認定のとおりであるところ、被控訴人がさらに他の医師ないし看護婦の応援を求めるべきであり、そうしておれば和子を救命することができたものであることを認めるに足る証拠はない。なお、《証拠省略》によれば、被控訴人は輸血用血液の準備をしていなかったことが認められるが、和子に輸血が必要であったことを認めるに足る証拠はないので、この点で被控訴人に過失があったということにはならない。また、点滴を被控訴人の妻がしたとの点については、仮にそのような事実が認められるとしても、それだけでは、和子の死亡について被控訴人に責任があることになるものではない。

(三)  以上のとおり、控訴人らが指摘する点は、いずれも不適切であったということができず、そのほかには、胎児及び和子の死亡について被控訴人のした医療処置に不適切な点があったことを認めるに足る証拠はない。そして、以上の検討の結果によれば、胎児及び和子の死亡は、やむをえない結果であったというほかはない。

2  債務不履行責任について

(一)  前記のように、被控訴人は、和子に対し、同人が被控訴人医院に出産のため入院することを承諾したのであるから、被控訴人と和子の間で、妊娠、分娩に関する診察、治療を目的とした医療契約(準委任契約)が締結されたものというべく、したがって、被控訴人は、その当時の一般開業医の医療水準に則した適切な診療を行なうべき契約上の義務があったというべきである。

(二)  しかし、不法行為責任の有無について判示したように、被控訴人がした医療処置については、これが不適切であったものということはできず、胎児及び和子の死亡という結果は、いずれもやむをえないことであったと認められるのであるから、被控訴人には控訴人ら主張のような債務不履行責任があるということはできない。

五  結論

以上の次第で、控訴人らの請求は、その余の点を判断するまでもなく、いずれも理由がないというべきであるから、これを棄却した原判決は相当であり、本件各控訴はいずれも理由がない。よって、本件各控訴をいずれも棄却することとし、控訴費用の負担について民訴法九五条、八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 加藤英継 笹村將文 裁判長裁判官豊島利夫は、転補のため、署名、押印することができない。裁判官 加藤英継)

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